| 「亜細亜くいだおれ」 November 28,2000 | |||
| スープの宝石、フカヒレ | |||
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ときどきなぜか無性に食べたくなるものがある。わたしにとってその食べ物は、魚翅(ゆいちー=フカヒレ)。 そしてせっかく食べるなら「大きく立派な姿煮」、ではなくできれば「おそばのフカヒレ」。この場合の「おそば」は食感と形態を表す形容詞であり副詞で、決して「フカヒレそば」という名前の麺を指してるわけではありません。 「おそばのように食べる」フカヒレは、白く濁った色の部分をすべて取り除き、あくまで透明でピンと太く伸びたものだけを厳選した、それはそれは贅沢な煮込み料理。その一本一本にぴかぴかと光沢があって、まるで珠玉の宝石そのものなのであります(今日も大袈裟ですすみません)。 基本的に歯応えや舌触りを楽しむものなので、フカヒレそのものがそんなにおいしいのではないはず。なのにおいしく感じるのは、フカヒレを煮込む上湯(しょんとん)が特別だから。上湯は中国料理でいう一番出汁のこと。丸鶏や金華火腿でじっくりとる、芳しい香りの、透明で、あくまで高貴なスープだ。 透き通る色、ぷりっと弾力あるフカヒレの見た目の美しさ、歯応え、上湯の味と香り、紅醋(ほんちょう ※赤い酢)を加えて変化するスープの色、さらにはその香り。薬味として使うもやしのシャキシャキ感も捨てがたい。一皿のフカヒレ煮込みを思い出す度、舌や目や鼻が「ぐががが」と思わず反応。わたしにはそれほど魅力的なのだ。高価で、いつも食べられるようなものじゃないという付加価値もたぶん大きいのだけれど。 そんなに高価なら「作ってしまえばいい」が、そうはうまくいかない。自分で作るには、通常、戻しやすい魚翅餅(ゆいちーぺん)を使う。これは一度ほぐしたフカヒレを固めた乾物で、質は価格で違い、「透明なおそば状だけ」のものは探せばあるだろうが、わたしごときの財力ではまず手に入らない。さらに透明なやつ以外の部分、白いとことかうにうにしたとことか、戻したものは勿体ないので結局全部食べることになる。やはりお大尽するには、店でないと無理。家ではとてもこんな贅沢はできないのだ。 香港でフカヒレを食べようと思うとき、「まずは飲茶で」が、わたしの経済レベルでは一般的。単純に価格の問題だ。そして注文するのはもちろん魚翅餃(ゆいちーがう)である。早くいえば、フカヒレ入りの餃子。 一口に餃子といっても、これがなかなか「深い」一品。日本語訳には「文字数の制限」という高い壁があるわけで、どうしても「フカヒレ餃子」とか「フカヒレスープ餃子」という簡単な説明で片付けられてしまうのだが、実際はそれでは説明不足。正確に言うとそれは「フカヒレ入りのスープを、スープごと包んだ餃子が浮かんだ、フカヒレ入りのスープ」である。 フカヒレ入りの上湯スープの中にぷかぷか浮かぶ、「こぶしほど」もある餃子は、具が固形でなく液体。と言いきってしまうのもまた語弊があって、詳しくいうとその中身は「フカヒレなど具がたくさん入った」スープ。 だからその餃子の皮を割って中を箸先でぐりぐりほぐすと、スープと餃子が全部一体化してどろどろスープになってしまう。それはそれでおいしいが、とにかく最初は餃子をほぐさず、上にのっかってる数本の立派なフカヒレを箸で味わい、透明なスープに舌鼓を打ち、最後に餃子をほぐすのが正しい食べ方とわたしは信じる。紅醋を入れるのはさらにその後。決まりがあるわけじゃないけど、やっぱいろんな食べ方を楽しまなくちゃ勿体なくって。 しかしその立派なフカヒレが、もとは「日本産」というのも、なんかこれまた不思議な話なのであります。 ![]() 映月樓の魚翅餃。黄金色のスープのなかに、たぷたぷした餃子が浮かぶリッチな点心。くずした直後はこんな。おそばのフカヒレは、この透明で立派な太いやつだけの集合体。
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