| 「亜細亜くいだおれ」 February 6,2001 | |||
| 豆漿・永和市のおみやげ | |||
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きっかけは金曜日の午後のできごと。単なる偶然だった。取材のロケハンを兼ねてふらふらとお茶屋さん巡りをしていたとき、たまたま訪ねた店で、店主がいった。 「週末に永和市の國父紀念館で中国茶のイベントがあります。興味があるなら、どうぞいらっしゃい」 永和? 豆漿の店か。え、違う? 店主から簡単に話を聞いた限りでは、永和市が台北からどのくらい離れているのか、よくわからなかった。けど、「駅からはタクシーが便利ですよ」といわれ、「だったらどうにか辿りつけるだろう」と行ってみることにした。翌土曜日はすでに仕事が入っているが、明後日ならどうにかなりそうだ。 日曜日。午前中に鼎泰豊で小籠湯包を食べ、午後から永和市へ行くことにした。ひとりで行くつもりだったが、台湾人の知人が「そこはわかりにくいですから一緒に行きます」といった。彼女は友人の友人で、その日初対面だった。だけど知らない土地で、言葉もまるでわからないわたしには願ってもない申し出。心のなかで彼女の親切にとても感謝した。 その日、なぜか捷運(ちえゆん=台北の公共交通手段。地下鉄のようなもの)はひどく遅れた。いつもなら5分で来るはずが、20分も待たされている。しかも、ようやく来た電車は東京のラッシュ時並の混雑状態。列の一番前に並んでいたわたしたちは、それでもどうにか滑りこんだ。 知人が何気なく「どうしたんでしょうね」とポツリ。すると「士林駅で事故があって。今、ようやく開通したんです」。隣に立っていた台湾人ご夫婦が、突然流暢な日本語でいった。そんな些細なきっかけから、この日初めて会った台湾人3人との、奇妙な一日が始まった。 ご夫婦は毎週ハイキングへ出かけていて、その日も陽明山のハイキングを楽しんで帰って来たところだという。うちの老親は、ななそじを越えながら年に何度もフルマラソンを走ったり、山へ登ったりしている。なんだか急に親しみが涌いてしまう。そのままさらに話しこむ。 わたしたちは永和市の國父紀念館へ向かっていること。茶藝のイベントがあるらしいので、訪ねるつもりだ。などと説明した。「うちのすぐ近所だから、案内しますよ」。ご夫婦は駅前で自転車をピックアップした後、わたしたちを目的地まで案内してくれた。途中、通りすがりにわたしが興味をもったホカホカの黄色い石焼き芋を、「おやつに」と買ってくださる。 目的地へは15分ほど歩いて到着した。が、茶藝のイベントは土曜日だけで終わってしまったらしく、やっていなかった。当日はダンスの発表会で、明るいきれいな色の服を着た妙齢のおねいさま方が集っていた。「見ていってもいいですよ」とわらわら囲まれたが、丁重にご辞退申し上げる。 ご夫婦は、台北から永和市まで、わざわざお茶を飲むためだけにやってきた物好きな日本人を不憫に思ってか、「うちでお茶を飲んでいきなさい」といった。知らない人の家に行くのもナニかと思ったが、結局は好奇心が勝ってしまった。 お宅は本当に國父紀念館のすぐそばだった。自転車をもったままエレベーターに乗って、上階へ上がる。お宅には留守番のおばあちゃまがいらした。突然の珍入者に別段驚くわけでなく、「あなた日本人か。よく来た」と快く迎えてくださった。 「まずはお茶ね」。妻の陳さんは日本の急須と湯のみを使い、ポットからお湯を差し、手馴れた様子で凍頂烏龍茶を入れる。正式の茶藝を期待して永和市までやってきたわたしには、正直いってやや拍子抜けのお作法だった。でも、何よりおもてなしの心がこもっていた。温かく香りのよいお茶は、本当においしかった。 お茶をいただきながら、わたしは陳さんに、むかし台中の郊外で撮影をしてたとき、偶然い合わせたまったく関係のない人々から「ごくろうさま」とねぎらいの言葉をもらったことを話した。そのとき撮影でさんざん迷惑をかけたにもかかわらず、「仕事して疲れただろう」と、熱々のチマキと李子(りーつー)という果物をさし入れしてもらったのがとてもうれしかったこと。とにかく、まったく知らない通りすがりの人から受けた親切は忘れられないと、そう告げる。これまで台湾で何度も受けてきた親切に対し、ただ、感謝の気持ちを伝えたかった。 陳さんは「日本へ行くと、地元の人たちからいつもとても親切にしてもらいます。日本人はとてもやさしいです。これはそのお返しです」といって笑った。ちょっと胸が痛くなった。普段のわたしは、常に自分の利益ばかりを考えているからだ。 「夕飯も食べていきなさい」。陳さんは準備を始めた。わたしは、ずかずかと厨房に入り込んで勝手に野菜を洗い、さやえんどうの筋をとり、茶碗の片づけをした。宗教の関係から、メニューはすべて精進料理。嬉しいことに、あまり知らない分野である。無理やり手伝いながら、野菜や乾物の名前、調味料の種類、そしてレシピを詳しく教えてもらった。 食事中、いろんな話をした。陳さんのご主人は血液の専門のお医者さんだといった。中醫ではなく西洋医。一緒に聞いていた台湾人の知人は「そういう分野は初めて聞きました」といったが、わたしは「身近に白血病の知人がいます。わかります」といった。 自分のことも話した。今回の滞在は仕事で、脚底反射区だの刮沙(ごあさー=患部を板でこすって治療する民間療法のようなもの)、推拿(とぅいな=中醫学のツボマッサージ)、ハリなどを取材しているといった。それを聞いてご主人は、「でも、病気のときはちゃんと西洋医へいかないと」と、心配そうにいった。わたしは「そうですね」といいながら、台湾で医者といったら西洋医だ、といわれてはいたけど、やっぱりそうなのかなあと、どうでもいいことをすこし思ったりしていた。 食後はせめてものお礼にと、陳さんが使っている日本語テキストの読み仮名と作文の添削をした。陳さんの日常会話は下手な日本人よりずっと上手だけれど、微妙な助詞の使い方は苦手なのだった。けど、それは日本人にとっても難解である。教えるのもひどくむずかしかった。 帰りがけ、陳さんはお土産をもたせてくれた。台中の珍しいお菓子、中国みかん、なぜかバナナ。けど、なにより得がたい経験が一番のお土産。タクシーで駅まで戻り、名物の豆漿を買ってホテルへ戻る。豆漿の店の屋号でしか知らなかった「永和」市を、とても身近に感じた一日だった。 ![]() ![]() ![]() 写真は左上から右下に:捷運頂渓駅から國父紀念館へ向かう途中で、石焼き芋屋さんに遭遇。「食べたい」といったわけじゃないのに、陳さんはいきなり焼き芋を買ってくださった。よっぽど食べたそうな顔をしてたのだと赤面。 焼き芋には2種類あった。白いお芋と黄色いお芋。迷わず黄色いお芋を買ってもらう。けど、残念ながら見た目で想像したよりおいしくなかった。 世界豆漿大王の店先。店内の広さにもびっくりするが、深夜近くになっても客がいっぱいでもっとびっくり。 白いのが豆漿で、カフェラテ色のが米漿。いずれも熱いモノで、こんな独特の台湾スタイルでお持ち帰り。紙のカップにこの袋のまま入れてくれます。 冷たい豆乳は、こうしてジュース感覚で売られます。 初対面の陳さん宅でいただいた、素食(精進料理)のごちそう。材料はサツマイモの茎、スナップえんどう、四川産キクラゲ、キヌガサダケ、アルファルファ、エリンギ茸、金針菜、キャベツなど。すべて有機野菜とのことでした。
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